カウンセライター沙良の綴方

カウンセラー(公認心理師)でライターの沙良が、仕事や日常のことを徒然に書き綴ります。

買わずにいられなくなる仕掛け

 

なるほど、買いたくなるわけだ。とても納得。

 

 

先日発売された、スーパーマリオの新作。

 

発売日から、怒涛の勢いでYouTubeのゲーム実況動画が上がり

それを見た子どもたちは(何なら、親たちも)興味をさらに大きくして

「やってみたいな」

という気持ちでいっぱい。

 

でも、やってみたくても体験版のダウンロードはできない。

どこかでゲームをお試しでプレイできるところはないのかな、と調べたら

ニンテンドーショップへ行けば、どうやら可能らしい。

 

親子で出かけていって、体験コーナーへ。

列に並んでいる間も、ほかの子がやっているのを見て

気持ちが高鳴る。

 

いよいよ、自分たちの番だ。

同時に四人までOKなので、家族で一緒にスタート画面を見つめる。

ボタンを押す。

YouTubeの動画で見た、あのやってみたかったステージが

目の前で展開されていく。

 

ゲームの世界を、心弾ませながら、生きる。

 

 

体験、お試しの10分など、あっという間だ。

 

たのしかった思いと、

ものたりない、もっとやりたかったという思いと。

 

後ろ髪を引かれる思いで、次の親子と交代。

 

 

それは、買いたくなるよね。

家でも、存分に遊びたいよね。

 

子どもだけでなく

一緒に店舗へ行って、一緒にプレイした親も。

 

 

…そりゃ、買ってしまうでしょう。

 

 

 

 

ここのところ、マーケティングがらみの原稿づくりをしていた。

 

インタビュイーが言っておられたことが

自分の体験と重なって、とても腑に落ちた。

 

 

仕掛け、と言ってしまうと

策略的で、自分の心をコントロールされるように感じて

ちょっとイヤな気持ちにもなるけれど

 

楽しい体験を、よりいっそう盛り上げるための演出

…と捉えると、お客さんを喜ばせるための工夫とも言える(のか?)

 

 

とりあえず、近日中に

我が家でスーパーマリオWONDERで遊ぶ親子の姿が

みられることでしょう。

 

楽しんでくれると良いな。

 

 

「ない」ことに、していないだろうか?

 

なにかにチャレンジしようと思ったときに

しばしば顕れる「ない」

 

よく聞くのは

「お金がない」

「時間がない」

「自信がない」

 

だから

でき「ない」

わから「ない」

 

やら「ない」

 

 

自重が必要な時期もある。

準備をしつつ、機が熟したときに

一気に取り組みをすすめるのも、賢い方法だ。

 

ただ、ほんとうは「できる」のに

それをする力が「ある」のに

「ない」ことにして、やら「ない」選択をしているのは

自分にとっても、周りにとっても、もったいない。

 

 

ほんとうに、「ない」のか

「ない」ことに、していないだろうか?

 

 

 

 

目を覆っていては、「ある」ものも見えない。

 

現実を見るのは、こわいこと。

勇気がいること。

 

やる、やらないにかかわらず

まず、見る。

 

決めるのは、それからだ。

 

 

語りには生き様が垣間見える

 

著者さんへのインタビュー音声を聞くたび、いつも思う。

「語り」=「人」だな、と。

 

経営者さんが、自社の商品やサービスについて語る場面でも

語りに、その人が垣間見えるのだ。

 

「何を」「どのように」話すかも、重要だ。

けれど、それと同じか、それ以上、「だれが」話すかも、大きい。

 

原稿を作らねばと思いながらも

語りに聞き入り

語り手が発することばに、歩んできた道や生き様を感じて

心震わせる。

 

語りを綴りに換えることで

その生き様を読み手の方にお届けできるのが

とても幸せだ。

 

 

 

 

生き様が垣間見えるのは、文も、同じだ。

 

同じテーマについて書くのでも、誰が書くかによって

出来上がる原稿はまったく別のものになる。

 

文章を書くスキルを磨くのはもちろんだが

人としてのあり方、人間性を高める努力も忘れずにいたい。

 

 

 

 

豊かに生きる

 

子どもたちを見ていると

本当に、よく笑う。

 

もちろん、

すねたり、怒ったり、泣きわめいたりするときもある。

 

どの感情のときも

実に力強い。

 

体はオトナよりも遥かに小さいのに

声が響く

 

瞬間、瞬間の、感情を

素直に表現して

生きている

 

なんと豊かなのだろう

 

いま

ここ

を生きている

 

オトナになると

先を憂い

過去を悔いて

いま・ここには、いない

 

体と意識が

違うところに生きている

 

自分とつながって

いま居るところ

いま経験していることに

意識を向け

そこから湧き上がってくるものを

素直に表現する

 

子どもたちのように

いま・ここを生きてみたら

この経験も、思いも、解像度が上がって

どれだけ鮮やかになることだろう

 

なんて豊かな生き方だろう

 

 

 

 

 

 

成功した喜びが味わえるのは、「こわくても、やってみた」から

 

我が家の息子氏が、とあるトライアル試験を受けてきた。

 

結果は当日ではなく、後日に改めて連絡とのこと。

本番でも緊張したが、結果を待つ今も「落ち着かない…」と、ずっとそわそわしている。

 

 

「受かっているといいね」

「うん、受かりたい」

 

トライアルに向けて、練習をしていたのを知っているだけに

その努力が報われてほしい。親として、そう願ってならない。

 

 

ただ、もし受からなかったとしても

堂々と、胸を張っていてほしい。

 

多くの子が、トライアルを受けられるチャンスがあるのを知って

結果、受けない選択をした。

もともと「やりたいと思わない」子もいただろう。

けれど、「実は、やってみたいと思っていた」子もいたことだろう。

 

とはいえ、練習が大変だから、とか、みんなの前でやるのが恥ずかしいから、とか

それぞれが、いろいろな理由で、やらない選択をした。

 

もちろん、その選択も素晴らしい。

ただ、もし本音の部分では「やりたかった」のなら

もったいなかったかもしれないな、

挑戦してみてもよかったのではないかな、とも思う。

 

 

 

 

息子氏は、はじめは躊躇していたらしい。

でも、意を決して、「やる!」と決めたのだそうだ。

 

いろいろ大変なことはあるし、

自分に負荷をかけなければいけない。

 

いつものルーティンとか、ふだんどおり、というのが好きな息子氏が

不安だったり、ドキドキだったり、いろんな思いを抱きながら

それでもやったことがない、大きなチャレンジを

「やる」と決断して、トライアルに臨んだ。

 

そんな息子氏を、心から誇りに思う。

 

 

わたしは、どうだ?

やりたいと思っていても、あれやこれや理由をつけて

やらない選択をしていること、あるよね…。

 

息子氏を見習って、こわくても「やってみる」。

 

うまくいった喜びや達成感も、

うまくいかなかった悔しさや悲しみも、

「やってみた」からこそ経験できる感情なのだよね。

 

 

 

 

結果は、どうなのだろう。

いつ発表か明示されていないようで、気をもむばかりだ。

 

 

挑戦しても、しなくても

どんな息子氏であっても、大切な存在であることには変わらない。

 

けど、勇気を持って一歩踏み出した、その姿勢に

大きな拍手をおくりたい。

 

 

文章は人

 

文章って、不思議だ。

 

直接会ったことがなくても、その文章を書いたのはどんな人か

なんとなく伝わってくる。

 

事実を淡々と、客観的に記したような報道記事でも

同じ事件の伝え方が報道機関や記者によって異なるように

 

伝え方が変わると、

「伝えたかったこと+α」の部分も変わってくる。

 

行間に、「その人」が垣間見える。

 

 

 

 

何を、どう書くか、も勿論とても大切。

 

そして、それ以上に

それを書いているのは、誰か

どんな人が、その文章を書いているのか

が、とてもとても大切。

 

 

同じ物事を言っても

だれが言ったのか、によって

伝わるものも伝わらなかったり

多くを言わずとも伝わったり、することがある。

 

何かを伝えようとするなら、

発信者として、

受け取ってもらえるに足る人でありたい。

 

 

健康第一

 

どれだけがんばりたくても

がんばれるだけの体力や気力がないことには

むずかしい。

 

健康第一。

 

そうなのだ。それはわかっているのだ。

でも、「わかっちゃいるけど…」なのだ。

 

無理してでも、やってしまうのだ。

 

「休めない」って、日本人あるあるだと思う。

お仕事の場面だけでなく、子育てとか介護とか、ケアする側の人とか特に

休めない状況の中で、自分にむち打ち続けている人は少なくないだろう。

 

 

ただ

 

ケアする人こそ、ケアされているべきで

人様にケアしようと思ったら、まず自分自身をケアしておく。

 

そこは忘れてはいけない。

 

 

 

 

心身ともに健やかであってこそ

ひとさまのお役に立てるのだ。

 

健康第一。

まず、自分を労っていこう。